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東京地方裁判所 昭和46年(行ウ)132号 判決 1973年1月31日

原告 片山薫

被告 国

訴訟代理人 中村勲 ほか四名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一  当事者の申立

原告は「被告は原告に対し金三五、〇〇〇円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告は主文と同旨の判決を求めた。

二  当事者の主張

(原告の請求原因)

(一)  原告は、昭和四四年一月二五日から呉刑務所に服役していたが、同月二八日付で広島刑務所に、さらに同年三月二三日付で府中刑務所にそれぞれ移監され、以来昭和四七年一月二五日満期出所するまで同所において服役し、その間終始独居拘禁に付されていた。

(二)  在監者といえども、日本国憲法二五条、監獄法(以下単に法という。)三八条の規定により健康を保つに必要な運動をすることができる旨保障されており、監獄法施行規則(以下単に規則という。)はこれをうけて、在監者には雨天のほか毎日三〇分以内戸外において運動をさせることおよびその運動時間は独居拘禁に付された者に限り一時間以内に伸長することをうる旨規定している(一〇六条)。

ところが、府中刑務所長は、原告の右在監中、特段の事情がないにもかかわらず、日曜日、祝日および入浴日における戸外運動を禁止したので、平均すると一か月のうち約半月近くも戸外運動が行われなかつたことになる。また、雨天のため戸外運動ができないときは午後一時から一〇分間各独房監において体操が実施されることになつていたが、これも忘れられて実施されない場合が多かつた。

もつとも、原告には緩和独居拘禁者として毎月一回の割合で映画観賞(約九〇分)およびテレビ観賞(約六〇分)の機会が与えられ、昭和四六年二月八日から戸外運動が一回四五分に伸長されたほかおおむね五日に一回の割合で入浴が実施されたけれども、この程度で前記戸外運動の不足を補いうるものではなく、規則も戸外運動と入浴とを別個に規定している(一〇五、一〇六条)ように、両者は全く別のものである。

仮に、入浴には戸外運動に準ずる効果があるとしても、入浴時間は僅か一回につき九分間であるから、これを差引いた時間の戸外運動を行わせるべきである。

以上のような右刑務所長の処分は、原告ら受刑者の生存権ないしは基本的人権を無視した違法な処分というほかはない。原告は、このため運動不足が原因して健康を害し、昭和四四年七月ごろから背中、肩の痛みと昭和四五年八月ごろから胃炎の各症状を呈して診療を受けるに至り、甚しい肉体的、精神的苦痛を被つた。

これは、前記のごとく被告の公務員たる府中刑務所長の故意又は過失による違法な戸外運動の制限に起因していること明らかであるから、被告に対しその慰籍料として三〇、〇〇〇円の支払を請求する。

(三)  国民のいわゆる知る権利は日本国憲法一九条、二一条により保障されており、在監者も本来新聞閲読の自由を享有するものである。受刑者は、刑務所長の特別権力関係に属し、一般国民の有する自由や権利を一定の範囲で制限されてもやむをえない立場にあるが、その収容関係の本質はあくまで刑の執行、すなわち受刑者を一般社会より隔離して矯正教化をはかる点にあるのであるから、受刑者に対する自由の制限も右目的達成に必要最少限に止むべきであつて、新聞購読のごときは本来自由であり、ただ例外的に新聞購読が拘禁および戒護上危険であるとか、あるいは矯正教化の目的を阻害することが明らかな場合に限りこれを制限しうるに過ぎない(法三一条、規則八六条)。このことは、従前の規則八六条が「文書図画ノ閲読ハ監獄ノ紀律二害ナキモノニ限リ之ヲ許ス。新聞紙及ヒ時事ノ論説ヲ記載スルモノハ其閲読ヲ許サス」と規定していたが、昭和四一年一一月一日法務省令第四七号により削除されるとともに、他方では作業賞与金による購読(規則七六条)、領置金使用による購読(法五二条)および差入れによる閲読(法五三条、規則一四三条)がそれぞれ認められていることからも明らかである。

ところが、府中刑務所長は、、受刑者が閲読しうる新聞紙を同所長が選定して官費をもつて購入する一紙(読売新聞)に限定し、自弁又は差入れによる閲読を許さないうえ、前日の夕刊と当日の朝刊を一度に回覧して、しかも閲読時間は一人二〇分に制限した。

しかしながら、右程度の新聞紙閲読の機会と時間を与えられるのみでは不十分なので、原告は、当日の刑務作業終了後の午後六時から同八時までの自由時間を利用してゆつくり新聞を閲読し、もつて出所後の生活に必要な知識を取得したいと考え、前記刑務所長に対し昭和四六年四月二八日毎日新聞の自費購読の許可申請をしたところ、同刑務所長は同年五月一〇日これを不許可にした。

そして、右不許可の理由として同刑務所の管理運営能力上の制約をあげているが、現行の新聞紙閲読に関する業務のうち、不適当箇所の抹消又は切取り、工場ないしは舎房への配付、回覧、閲読完了後の回収、廃棄については、主として受刑者を使役しているから、たとえ購読を許しても職員の事務量には殆んど影響がなく、ただ受付、領置金支払および各人への新聞紙の配付等若干の事務量増加が考えられるけれども、これもその簡易化を工夫することによつて施設の管理運営ないしは受刑者の戒護にまで著しい支障を生ずることは避けうるのであり、新聞の購読を許したからといつて監獄の取扱いに著しく困難を来す虞れがあるとき(規則八六条二項)には当らない。現に公安関係被告人の場合には何百という収容者に対し新聞の購読を許可した事実がある。

以上述べたとおり、本件新聞購読不許可処分は何ら合理的な理由もなく、いたずらに原告の新聞閲読の自由および知る権利など基本的人権を侵害する憲法違反の処分であり、被告の公務員たる右刑務所長の故意又は過失による右処分のため原告は多大の精神的損害を被つたので、被告に対しその賠償として五、〇〇〇円の支払を求める。

(被告の認否と主張)

(一)  請求原因(一)項は認める。同(二)項につき、府中刑務所長が在監者に対し日曜日、祝日および入浴日に戸外運動を行わせていない点ならびに一日の運動時間が一回三〇分であり、原告に対しては昭和四六年二月一〇日以降運動時間が一〇分ないし一五分伸長された点は認め、その余は争う。同(三)項につき、府中刑務所長が官費をもつて読売新聞一紙を備え付け、前日の夕刊と当日の朝刊とを一度に回覧し、その閲覧時間を各人二〇分と定めている点ならびに原告よりなされたその主張の新聞購読申請を右刑務所長が原告主張の日時に不許可とした点は認めるが、その余は争う。

(二)  法三八条ならびに規則一〇六条の趣旨とするところは、要するに在監者に対しその健康を保つに必要な程度の運動を保障したものであつて、規則一〇六条は戸外運動が運動の代表的方法であるところから、戸外運動を例にして運動に関する一応の基準を示したものと解すべきところ、原告の府中刑務所在監当時における運動の実状は次のとおりである。

1 府中刑務所には常時二、四〇〇名前後の受刑者を収容しているが、これら受刑者に対して雨天の日のほか、日曜日、祝日および入浴日を除く毎日戸外運動を実施している。原告は入所以来昼夜独居拘禁されていたので、相互に交通を遮断する必要上常時四名の監獄職員立会のもとにおおむね午前八時から午後三時までの間に一回三〇分ずつ戸外運動を実施した(ただし、昭和四六年二月八日以降は一回四五分に伸長された。)。

2 府中刑務所では、昼夜独居拘禁者のうちで、工場に出役させて集団処遇するに至らないまでも、少人数の一時的な集団処遇が可能であり、かつ、戒護上も特段の支障が生ずる虞れの殆んどないと認められる者を選定して緩和独居拘禁者とし、これらの者に対しては従来より毎月一回独居舎の講堂で行われる映画観賞およびテレビ観賞への出席を認めているほか、戸外運動時間を昭和四六年二月八日から一回四五分に伸長しているが、原告も緩和独居拘禁者であつた。

3、昼夜独居拘禁中の者は、昼間は各監房において作業に従事しているが、雨天のため戸外運動を実施できない場合には、午後の休憩時間を利用して各監房において体操を行わせている。

4 府中刑務所では、一年を通じて平均五日に一回の割合によつて入浴を実施しているが、これが健康増進の見地からいつて肉体面、精神面ともに戸外運動に準ずる効果があることは経験則上明らかである。

原告の在監当時における運動の実状は右のとおりであるが、これまで運動不足により受刑者の健康を害した例は皆無である。のみならず、受刑者が疾病に罹患した場合、作業を免ぜられ、あるいは症状により病監に収容されて医療処置が施されることになつているが、原告は入所以来健康な状態であつて、疾病のため作業を免ぜられたり病監に収容されたりしたことはなかつた。もつとも、原告は五回に亘り受診し投薬等の医療を受けているが、これは健康体の者にも見られるような極めて一時的な身体の変調であつて、もとより運動不足に起因するものではない。したがつて、戸外運動に関する現行の処遇も原告ら在監者の健康を保つに必要な運動に欠けるところはないものというべきである。

他方、右刑務所では課長以下二四三名の職員で常時約二、四〇〇名の受刑者をかかえ、そのうち約四〇〇名が昼夜独居拘禁に付せられた者であつて、懲罰執行中の者を除いても戸外運動実施対象人員は常時約三〇〇名である。こうした人的物的両面の施設能力に照し、日曜日、祝日および入浴日までも戸外運動を実施することは甚だ困難であり、これを廃止しても合理的理由があるというべきである。

(三)  府中刑務所長は、受刑者の新聞紙閲読について、法三一条、規則八六条、法務大臣訓令「収容者に閲読させる図書、新聞紙等取扱規程」(昭和四一年一二月一三日矯正甲第一三〇七号)、矯正局長依命通達「収容者に閲読させる図書、新聞紙等取扱規程の運用について」(昭和四一年一二月二〇日矯正甲第一三三〇号)にもとづき、達示「収容者に閲読させる図書新聞紙等取扱細則」(昭和四二年二月一日)を定め、次のとおり取扱つている。

1 (新聞紙の選定)受刑者の閲読する新聞紙は、一般および同所収容者の閲読傾向を参酌して所長が選定する通常紙一紙(現在は読売新聞)とし、自弁又は差入れによる通常紙の購読は、これを許可しない。

2 (閲読の方法)新聞紙は、検閲の都合上、前日の夕刊および当日の朝刊を併せて一部となし、一舎房当り一部をおおむね午前一〇時から午後八時までの間に順次回覧している。

3 (閲読の時間)各入の閲読時間については、特別の制限を設けていないが、新聞紙の特殊性を考慮して停滞することのないよう指導しており、おおむね最高二〇分を目途に大半の者が閲読を終了している。

4 (不適当箇所の抹消又は切取り)拘禁の確保を阻害するおそれのあるもの、規律を乱すおそれのあるものおよび教化上不適当なものは、その箇所を抹消又は切取る。

府中刑務所長は受刑者の新聞閲読につき右に依り取扱つてきたところ、昭和四六年四月二八日原告から、出所に備る必要があること、読売新聞一紙の官費回覧による閲読では十分ではないこと、受刑者でも新聞を閲読する権利が憲法で保障されていることなどの理由のもとに、自費による毎日新聞の購読許可の願い出があつた。これに対し、同所長は、前記法令に基づく受刑者の新聞紙閲読に関する現行の取扱いが受刑者の新聞閲読の権利を侵害しているとは認められず、また、受刑者処遇平等の見地からも原告に対してのみ右願いを許可する合理的理由が認められないとして、同年五月一〇日これを不許可とした。

そもそも、受刑者が監獄で服役するに要する経費は、一部の例外を除き国家予算をもつて支弁するのが法令の建前である。このことは、法が比較的短期の収容である未決収容者に衣類臥具の自弁(三三条)、糧食の自弁(三五条)等大巾な自弁を認めているのに対し、比較的長期の収容となる受刑者にはこれらを認めていないのは、受刑者にこれを認めると監獄内における受刑者の生活が貧富の差により大きく左右される結果を招来し、ひいては本来公平かつ平等であるべき刑の執行についても重大な不公平、不平等な結果を及ぼすことになりかねないためである。

もつとも、文書図画のうち書籍、雑誌等図書の閲読については、受刑者に対し作業賞与金による購読(規則七六条)、領置金による購読(法五二条)等私本の購読を認めているが、これは刊行されている図書が極めて多種多様であり、受刑者の閲読傾向も多岐に亘るため、趣味にあわないものを一部備え付けて一律に閲読の機会を与えるのみでは無意味であるし、そうかといつてその全てを国家予算で備え付けることも事実上不可能であるためとられた例外的処置である。これに対し、新聞紙の場合はいわゆる通常紙の間ではその記事内容、報道の正確性、迅速性等において著しい差異が認められないから、刑務所長が受刑者の意向を参酌しながら一紙を選定することも可能である。この方法は、あるいは心ゆくまで新聞紙を閲読しえないうらみを免れえないが、受刑者が社会の出来事や各種の思想等を知つて種々思考するための素材を供給するという面では十分満足すべきものである。

また、受刑者の自弁による新聞紙購読を認めるか否かの問題は、施設の管理能力の面からも検討を要するのである。現行の新聞紙の取扱いに関する業務の内容は、その順序に従つて示すと次のとおりである。

(ア)配達人からの受領と部数の確認(事務当直職員)、(イ)内容の検査(教育課主管)、(ウ)不適当箇所の検査簿への登載および所長決裁(教育保主管)、(エ)不適当筒所の抹消又は切取り(教育課主管)、(オ)工場又は舎房への配付(教育課職員)、(カ)回覧(保安課職員)、(キ)不正連絡等の落書又は故意による破損の有無検査(保安課職員)、(ク)回覧(保安課職員)、(ケ)閲読完了後の回収(保安課職員)、(コ)廃棄(用度課主管)

仮に受刑者の自弁による新聞紙の購読を認めるとするならば、右業務のほかに購読の受付、領置金支出事務、各人への配付および受領の確認等の業務が増加し、新聞紙取扱いに関する事務量が一挙に測り知れない程増加することは必至であつて、その結果は施設の管理運営に重大なる支障を及ぼすことになるばかりか、受刑者の戒護ないしは処遇にまでも著しい支障を来すことになる。したがつて、管理運営面からみても、受刑者の新聞紙閲読につき自弁を認めることは不可能である。

以上述べたところからも明らかなように、府中刑務所による現行の新聞紙取扱いは合理的理由があり、適法なものであつて、在監者の知る権利を侵す違憲、違法のものと非難される道理はない。

三  証拠<省略>

理由

一  請求原因(一)項ならびに原告が府中刑務所に在監した昭和四四年三月二三日以降昭和四七年一月二五日までの間、同刑務所長が在監者に対し日曜日、祝日および入浴日に戸外運動をさせなかつたことは当事者間に争いがない。

ところで、原告は府中刑務所長が日曜日、祝日および入浴日に戸外運動を行わせないのは違法であり、そのために原告は健康を害したと主張するけれども、<証拠省略>によると、原告の右在監中における健康状態はおおむね平常であつたこと、もつとも原告は昭和四四年七月ごろから背中や肩が時折痛むことがあり、その際は痛み止めにサルチルアミドとビタミンB2などの投与を受けたが、それは俗に五〇肩と称する関節の退化変性よりくる一種の老化現象に過ぎないものであり、また、昭和四五年二月ごろから断続的に胃の不調を訴え、健胃散やエビオスおよびビタミンB2などの投薬を受けているが、それは比較的軽微な慢性胃炎であつて、その程度のものは比較的運動の機会に恵まれている雑居房収容者中にもかなりの数を認めることができること、医学的にみて原告の前記肩などの痛みならびに胃の不調はいずれも運動不足が原因であるとは考えられないことが認められ、他に右認定を動かしうる証拠はない。

二  日曜日、祝日および入浴日に戸外運動をさせなくても、これをただちに違法と断定することはできない。法三八条ならびに規則一〇六条の本旨とするところは、被告の主張するように、要するに在監者が健康を保つに必要な程度の運動を在監者に対して保障しようとするものであつて、規則一〇六条が戸外運動につき規定しているのは、それが運動の代表的な方法であることから、戸外運動を例にして運動の一応の基準を示したものと解するのが相当である。したがつて、日曜日、祝日および入浴日に戸外運動の機会を与えないことが右の保障に違背するか否かは、当該刑務所における具体的な人的物的戒護能力と当該在監者の実質的な運動量との総合的観察からこれを論ずべきである。

原告は本件在監中終始昼夜独居拘禁に付されていたが、いわゆる緩和独居拘禁者とされていたので、従来日曜日、祝日および入浴日以外の雨の日を除く通常日における戸外運動時間が毎日一回三〇分のところを、昭和四六年二月八日以降一回四五分に伸長されたほか、毎月一回の割合による映画およびテレビの観賞も許されていたこと、ならびに入浴が五日に一回の割合で実施されていたことについては当事者間に争いがない。

そして<証拠省略>を総合すると次の事実が認められ、他に同認定を動かしうる証拠はない。

原告の在監当時、府中刑務所には約二、四〇〇名の在監者がいたが、そのうち独居拘禁者は約四〇〇名であつた。これに対し、職員総数四四二名中実際に在監者の保安業務にあたる職員は二四三名であり、しかも、夜勤者の交替や職員の休暇等のため常時在勤する保安職員は約一六三名である。そして、右職員のうち百十数名が工場に就労する約一、九〇〇名の在監者の戒護に当る関係上、独居房担当にまわされる職員は二一名となり、そのうち舎房勤務が八名であり、運動係には四名を割当てうるに過ぎない。他方、原告は紙細工作業に従事していたが、府中刑務所における在監者の作業時間は午前七時二五分に開始され、午後四時三五分終了し、その間に正午より四〇分昼食時間がとられるほか、午前と午後に各一回一五分ずつの休憩時間が設けられ、そのときは舎房内における運動はことさら騒音などを伴うものでないかぎり自由に認められている。また、雨の日は居房内で午後一時ごろから十数分ラジオ体操が行われ、一回の入浴時間は夏期が約九分、冬期が約一〇分である。

前記認定事実に照すと、原告は右程度の運動を行う機会を与えられているほか月に一回の割合で映画やテレビを観賞することも許され(これは少なくとも精神衛生上の効果がある。)、また、入浴が肉体的、精神的に戸外運動に代る効果をもつことは明らかであるから、前記のような府中刑務所の人的物的戒護能力を考えると、同所長が原告に対し日曜日、祝日および入浴日に戸外運動を行わせないことも、同刑務所の管理運営上やむをえない処遇としてその合理性を認めざるをえない。したがつて、これを違法として論難する原告主張は理由がないものというべきである。

三  次に、新聞紙購読不許可の点につき判断する。

在監者といえども、本質的には思想表現の自由を有し、いわゆる知る権利を享有するものであるが、ただそれは、受刑者としての立場上、行刑目的ならびに刑務所の管理運営面からくる合理的範囲内の制限に服せざるをえず、法三一条や規則八六条も同趣旨に解するのが相当である。そして、府中刑務所長が官費をもつて読売新聞紙一紙のみを備え付けて在監者の閲覧に供していること、その方法として前日の夕刊と当日の朝刊を一度に回覧し、その閲覧時間が各人ほぼ二〇分に制限されていること、ならびに同所長が原告主張の毎日新聞自費購読申請を不許可にしたことは、いずれも当事者間に争いがないところである。

そこで、府中刑務所長の新聞閲読に関する右取扱いが同刑務所の正常な監理運営のためやむをえない合理的措置であるといえるかどうかが問題である。もとより、新聞紙の閲読は書籍・雑誌等図書閲覧の場合(この場合はその種類が極めて多岐に分れ、在監者の希望を単一化することが困難である。)と異り、われわれの経験上、朝日、毎日、読売などの通常紙間ではその記事内容、報道の正確性、迅速性等において大差が認められないから、そのいずれか一紙につき前記の閲読時間(約二〇分)を与えれば、受刑者が社会に生起する事象についての知識や思想を吸収するという点では少くとも最低限度の満足を得るに不足することはないものと認められる。

他方、<証拠省略>を総合すると次の事実が認められる。府中刑務所長は、受刑者に対する新聞紙の閲読につき被告主張の訓令、通達および達示に依拠し、収容者の閲読傾向を三か月に一回調査のうえ、その結果を参酌して選定した通常紙(読売新聞)一紙を官費をもつて備え付け、これを閲覧に供し、自弁又は差入れによる通常紙の購読を許可しない方針を採つている。また、新聞紙閲読に関する職員の業務内容は、(ア)配達人からの受領と部数の確認、(イ)内容の検査、(ウ)不適当箇所の検査と決裁、(エ)不適当箇所の抹消又は切取り、(オ)工場又は舎房への配付、(カ)回覧、(キ)閲覧終了後の回収、(ク)廃棄などであり、そのうち(ア)は事務当直職員、(イ)ないし(オ)は教育課職員、(カ)(キ)は保安課職員、(ク)は用度課職員の各分担となるが、教育課職員は課長のほか五名ないし六名に過ぎない。

現在、同刑務所で在監者の閲覧に供されている新聞の部数は二七部であり、前日の夕刊と当日の朝刊とを併せて工場(総数三四ないし三五)には二箇所につき一部、独居房へは七部をそれぞれ配付しているが、仮に一般的に自費購読を認めるとなると、前記事務が数量的に増大するほか購入受付や領置金支払事務など付随事務を併せると膨大な事務量増加となつて、現在の人的能力ではその円滑な処理は到底不可能である。以上の事実が認められ、他に同認定を動かしうる証拠はない。

右認定事実によると、同刑務所長が選定し閲覧に供している通常紙一紙のみにつき前記閲読時間を与えることにより、社会のニユースないしは思想的事象を伝えるという新聞本来の機能は最少限満されているものと認められる反面、仮に自費購読を許すと、同刑務所の円満な管理運営が阻害されること明らかであるから、この両者を総合考慮すると、右刑務所長の措置には合理的理由があり、これを違法ということはできない。

四  叙上の次第で、府中刑務所長の本件処分には原告主張の違法は認められないので、これが違法なものとして、被告に対しその損害賠償を求める原告の本訴請求はすべて理由がないから失当として棄却すべく、訴訟費用につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 高津環 牧山市治 上田豊三)

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